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思い出のマーニーにおける作画の凄さ

2014年公開ジブリ映画「思い出のマーニー」が傑作であることは論を待たない

だが、どうしても評価点として語られるのがテーマ性やメッセージ性、脚本構成、美術ワークスに偏り、キャラクター作画への言及があまりなされていないので私見をば……

 

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↑杏奈(左)とマーニー(右)

 

 ・美術でストーリーを語っちゃう

作画の話を振っておきながらいきなり美術(背景)の話題になる

「思い出のマーニー」では美術監督に実写畑の種田陽平氏を起用

まだコアスタッフが米林監督と鈴木Pぐらいしか決まっていない段階の企画初期から加わり

ロケハンを決め、美術設定も自前のスタッフを用意し、絵の描き方まで指導している(ようなもの)というまさに美術のリーダー

その種田氏が「自分が起用されたからには一目で今までと違うとわかる美術にしなければ」との思いから、マーニーでは西洋絵画風に決めた

冒頭の札幌パートを除いてタッチの差異あれどジャンル的には同じ描き方でコントロールされる

 

「空の色で杏奈の心を表現する」と監督は語っているが

種田氏の提案が脚本面にも影響を与えていく中で、最終的には美術全てで杏奈の心境、つまりストーリー自体を語っていくことになる

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↑「思い出のマーニー」のメイン舞台である湿っ地屋敷

 

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↑マーニーと過ごす時間は心が洗われるー。嬉しいのー。だから夕日がオレンジじゃないのー

 

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↑突然のマーニー登場にビビる杏奈さん。美術も一気に怪しげになる

この調子でたとえキャラクターも音も無くても、美術を順番に映していくだけでもストーリーが理解出来ちゃう映画。それが「思い出のマーニー」

 

  • 美術と作画の一致をめざす

美術が情感どころかストーリーまで語りだしたとき作画(パラパラ漫画)はどうなるか?

 

基本的にアニメーション(パラパラ漫画)は静止画が時間差で積み重なっていくわけだから自然とストーリーを語っている

もし美術と作画が別のストーリーを語っていたらそれはそれで面白い表現だが

今作における制作者の共通のモチベーションが原作の持つテーマを表現する、ということなので、作品が持つストーリーは一つでなければならない

 

ストーリーとは情報で構成されるから、美術と作画で同じ意味を表現できていないとストーリーが一致しない

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↑マーニーとの交流で心が洗われる杏奈さん。

美術的には、夕日であるが色彩豊かで日ノ出のような爽やかさがある。

作画的には、(静止画で分からないが)前回はボートを漕ぐのが下手だった杏奈がマーニーに優しく教えてもらい、上手に前に進めている様子が表現されている。

 

 

と、まあこのような表現自体は腕のいいアニメーターなら自分の担当カットで使うことは難しくないかもしれない

しかし全編常にこの調子なのが「思い出のマーニー」である

 

これは大変だ。前後のカット移行が違和感なく行わなくてはならない

つまりアニメーターが前のカットの美術とキャラクター作画がどんな意味をもっているのか+どのような描き方で表現するのか、知っていなければならない

すなわち絵コンテ時点でそれが分かるものを作らないといけないわけで

それを106分全編で行うこの映画のコンテマンはとんでもないことをやってる(もちろん絵コンテで表現しきれなかった部分は作画監督美術監督がフォローしてるだろう)

 

 

  • アニメから離れる作画

とはいえ絵コンテの段階で

静止画として完成している美術に動かすことに魅力を持つ作画を一致させることで、これまでよく語られてきた作画の魅力は薄まってしまう

パースをガンガン歪ませて、中割を使って視聴者の残像を計算したアクションなんかは絶対に使えないし、カメラワークも美術に気を使わなければならない

 

結果、作画単体に快感が生まれなくなる……のだが

 

↓予告編


"When Marnie Was There" ENGSUB Movie Trailer ...

予告からすでに

引き画面大杉ぃ

真横視点大杉ぃ

真正面視点大杉ぃ

これじゃあ快感が生まれないぃ

 

そのかわり美術がよく見える?

いやむしろ作画の情報量が増えている事の方が印象に残る

予告編40-45秒のシーンなんかは(素人考えだが)手元にカメラが寄るだとかボードが岸にぶつかってカメラがブレたりすれば快感が生じる気もするが、あえて杏奈の全身を映し、無様に見える動きを丁寧に描くことで杏奈の心境だけでなく実在感が大きく増している

 

予告編1:45-1:50は杏奈とマーニーが婆やを出し抜いて逃げるという気持ちいいシーンのはずだがこれまた快感なんてない地味でダサいと言われそうな構図にしている。しかしあえてこの構図にしたためマーニーと婆やと杏奈が同レベルで描写できている。さらにこのサイズの絵でも三人それぞれがフォーカスされた場合と同じ情報量を表現している。作画技術に自信が無ければできない。これでもし作画が下手だったら本当にダサくて糞みたいなシーンになってしまう(ちなみに脱出の快感はその後の鍵がこぼれてマーニーが振り返るという流れ(2秒)で表現している、一応)

 

このように「思い出のマーニー」では快感で興味を引き付けることも、シンボリック(お約束)表現も使わず、アニメらしいアニメから離れていく。

そしてひたすら全部、描く描く描く。美術も作画もこれまで省略していた部分を描く

それも目的がリアルな絵作りのためでなく、一つのストーリーのために。

 

実験的な挑戦を行いながら、目的を果たすことに成功している(と俺は思っている)この映画は見事というほかない

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